「モモ」に感動する~ほんとうに奪われたものは何か~

 昔から、二回同じ本を読むのが苦手だ。

速読・乱読・積ん読(読む時間すら惜しい)、そうやって情報だけを抜き出す読書をしている内に、車輪を回り続けるハムスターのように、効率だけを追い求める読書をして、いつしか「モモ」の街の人たちのような険しい表情、もしくは常に苛々した表情をして、物語を読まなくなっていたかもしれない。

正確には、時々読んだり、観たりはしていたのだけど、ごく表層で一度だけなぞり、噛みしめて味わったり、何度も反芻することがなかったのだ。そもそも、ある年齢からは架空の物語を意識的に避けてきたーそんな思いがする。

そんな訳で、ごく幼いころに一度読んだような気がする「モモ」を、読み返すことはこれまでしてこなかった。この度久々に読んでみて、ほんとうに驚いた。1973年ー半世紀ほど前に書かれた作品に、今の人々の姿がありありと書かれていたからだ。あの人、この人、そして自分自身のこと。つまりは、50年経っても人間なんてそれほど進化してはいない。

 街の大人たちは、灰色の男たち<時間どろぼう>の会話に最初疑心暗鬼なものの、甘い言葉や恫喝にのって、ひとたび「時間を節約し、貯蓄する」ということを目標としたが最後、効率ばかりを追い求め、人とのふれあいの時間を失くし、自分たちの子供すら育てることを疎ましく感じるようになる。そしてわずかに残された空白の時間が、とても怖くなる。何もしていない自分が許せなくなる。ビルの壁面や広告塔には「時間節約こそ幸福への道!」「きみの生活を豊かにするためにー時間を節約しよう!」なんてポスターが溢れるのだけど、いつも「ふきげんな、くたびれた、怒りっぽい顔をして、とげとげしい目つき」で、そして、かつて本当に心が癒されていた、自分が等身大の自分でいられるためにあれほど必要であった少女「モモ」に会って、話を聞いてもらう時間すら、もったいない。惜しく感じるようになってしまう。

 何しろ「モモ」は童話なので、作者は寓意というより、何度も何度も直接的に読者に語り掛けてくれる。「時間とは生きるということ、そのものなのです。そして人のいのちは心を住みかとしているのです。」というナレーションもあるし、時間を司っているマイスター・ホラは「・・・人間には時間を感じ取るために心というものがある、そして、もしその心が時間を感じ取れないときには、その時間はないもおなじだ」とモモに語ってくれる。そう、街の人々は時間を節約し、ちょっぴり裕福にはなったけど、孤立し、心を落としてしまい、せっかく節約した時間すら、上手く使えないようになってしまったのだ。

 細部の描写に至るまであまりに凄い作品だと思いました。他の作品もぜひ読んでみたい。ああ、時間が足りない・・・

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神奈川県藤沢市で「藤沢在宅クリニック」を開いています。 患者さんのお宅や施設に訪問して診療する、在宅医です。 YouTubeで健康チャンネルを不定期配信しています。 「在宅医が語る!健康チャンネル」 https://www.youtube.com/channel/UC9YxLfSunPnVClEMW04Jeuw ☆著作「在宅医の告白~多死社会のリアル~」(2018.2.26 幻冬舎MC)